ごとう的「場」の観念 今回は医療的ですよ


前回タモリさんの話題を取り上げ、「場」についてお話しました。それに関してコメントも頂きました。有名な音楽プロデューサーの興味深いお話も教えて下さいました。
私にとっては外来診療も、ある意味で「場」だと感じています。私は患者さんと対峙する際に、「虚」になろうと考えています。そして患者さんが発する言葉や、言葉にしなくても仕草、顔色、息遣い、聴診の際の音など様々なメッセージを取りこぼさないように努力しています。どうしても先入観が入ったり、決めつけてしまうと、色んなものを見過ごす危険性があるからです。また、こちらが主導権を握ったり、前面に出てしまうと、せっかくのメッセージを患者さんが発しなくなる恐れもあります。それでは面白くありません。無味乾燥が診療?(診療と言っていいものか?)になってしまいます。
前回の「能」であったり、「プロデューサー」であったり、「医療」であったり、特殊な職種に限らず また、ブログを読んで頂いた皆さんにも様々な日常の中に「場」という観念が頭に浮かんだ人も少なくないでしょう。 この感覚は日本人だからでしょうか?

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